2018年01月

2018年01月11日

Caverna: Cave vs Cave / Lookout Games (2017)

カヴェルナ洞窟対決。

ウヴェの「ワーカープレイスメントを2人用にしてみよう」シリーズ。

アグリコラ2人用では、カードを撤廃し、ファミリールール(という名の運要素のないガチルール)を元にバチバチの戦いの舞台を用意し、牛や羊などの木駒に釣られて寄ってきたゆるふわゲーマーにゲームの厳しさを教える鬼となったウヴェ。

ル・アーブル2人用では、アグリコラの反省を踏まえ、ジャケに見つめ合うおじさんたちを配置し、ゲーマー向けであることを明らかにした。システムも、効果の発動回数を管理するダイヤル、資源管理のエクセルと一見パフォーマンスのように思えるギミックが必然性を持ってそこにあり、それらを駆使して1円単位で鎬を削る。エクセルと格闘する様はまさに船舶会社の事務員である。確定申告前の年末と決算を控えた年度末以外は定時で帰れるぞ。後輩には優しくしよう。海の男は無茶を言いがちだが、そいつは半人前だから気にすんな。本物はリスク回避能力が高い。海で生きるとはそういうことだ。

さて、本作カヴェルナ2人用は、ル・アーブルであらぬ方向へ行ってしまった「ワーカープレイスメントを 2人用にするプロジェクト」の基本に立ち戻った。ウヴェは知っていた。ワーカープレイスメントは、ワーカーをプレイスしなくても成立することを。ワーカーを置く効果を発動。今後はその効果を使えない。これがウヴェ式ワーカープレイスメントだ。ワーカーはもう使用できないという証でしかない。であれば、アクションタイルを獲得 発動、でもかまわない。はたして本作はワーカープレイスメント改めアクションタイルテイキングゲームとなった。

ワーカープレイスメントの行く末が奇しくもプエルトリコと一致した。いい機会なので、プエルトリコはワーカープレイスメントではないということを明らかにしておく。ウヴェ式ワーカープレイスメント(ちなみにウヴェはアッティラ流派に属すものと推測される)の本質はアクションの早取りである。却ってプエルトリコにおいてはアクションは全員が行うことになる。ここには大きな隔絶があり、ゲームデザインにおける哲学が全く違うのである。前者は、どのアクションをどのような順番で行うかを選べます。プレイヤーの創造性が刺激されます。後者は、皆が同じアクションをすることになります。その中でタイミングを見計らい他のプレイヤーよりも少しだけ得をすることを目指します。これは似て非なるものです。

閑話休題、カヴェルナ2人用においては元ゲームの洞窟の部分のみを切り取りました。アグリコラ2人用から始まったカードの配り運の廃止、市場の建物タイルをピックするというかたちを踏襲しています(とはいえ、これはアグリコラ2人用 本家カヴェルナという流れで採用されていますのでカヴェルナ2人用がこれを踏襲するのは当然ではありますし、もっと言うとむしろアグリコラだけがカードの配り運があり、ル・アーブル以降は市場に並んだ建物をピックするというかたち、さらに祈り働けにおいては市場のランダム性さえもゼロにしたわけで、それはウヴェが競技性を重視していてのことなのか、それとも公平性を重視してのことなのかはわかりませんが、ボーナンザ、マンマミーア等のカードゲームを愛したあの頃のウヴェはやはりもういないと言わざるを得ません)。アグリコラ2人用においては、市場の建物は4枚限りで、すべて公開されています。プレイヤー固有のアクションは限りなく少なく、あくまで盤面のアクションマスの取り合いです。一方カヴェルナ2人用においては、市場の建物は10枚以上、しかも徐々に公開されていきます。アグリコラに比べ、めくり運やどの建物を取るかという創造性を試される部分があり、競技性に振っていたアグリコラに比べ、カジュアルかつ自由なプレイ感を提供しています。

これは本家カヴェルナでもそうですし、続くオーディンやアルルの丘、(そしておそらくはヌースフィヨルド)でも同様です。ウヴェは、運要素をなくし公平性を担保し(プレイ順の話は置いておきますが)、運要素をなくすことで辛くなったプレイ感を、要素(勝ち筋)を増やすことで他のプレイヤーとぶつかった時も違う道へ行けば問題ないとするデザインをしています。

皮肉なことに先取りのメカニクスであるワーカープレイスメントの先取り部分をウヴェは課題として捉えていて、単に優秀なUIとしてワーカープレイスメントというメカニクス(もはやメカニクスとは呼べませんが)を採用しているのです。

本作ではワーカープレイスメントをアクションタイルテイキングゲームとしたと書きましたが、本作においても実際のところタイルの取り合いがゲームの中心ではありません。どの資源を取るかどの建物を取るかが重要です。


結論としては、ゲームエンジンとしてのワーカープレイスメントがインタラクションを生むデザインではなく、かと言ってどのように洞窟を作っていくかは建物タイルのめくりに左右されるため、てなりとまでは言いませんが良く言えばカジュアルそうでなければ中途半端な印象です。



ichinenjumirai at 21:36|PermalinkComments(0)ゲーム 

2018年01月07日

Heaven & Ale / eggertspiele (2017)

ヘヴン&エール。

キースリングの相方探しシリーズ。

エセタイムトラックと隣接タイルの発動というグレンモアの影響が見られ、お前クラマーなら誰でもいいのかよと思わせて、その実シュミットさん(シュミットとは特に関係がない)との共作である。誰なんだシュミットさん。めっさ絵上手いな。

無理に過去作との関連性を見出すのであれば、決算の回数が限られていて、それがお金を得るか勝利点を得るかという選択であれば、クラマーと一緒にalea黄金時代の一端を担ったフィレンツェの匠...と言いたいところですが、残念。これはクラマー単独作であるところのハチエンダの市場連結でしょう。

シュミットさんが、「ハチエンダのあれ流用しましょうよ。僕ハチエンダ大好きなんですよ。いやー、流石ですよね。え? あれキースリングさん絡んでないんでしたっけ?」って言って変な空気になったかどうかは知りませんが、市場のタイルの両面印刷のパターンの不一致や、5円カード10円カードの形状、ハチエンダを意識していることは明らかで、キースリングがハチエンダプロジェクトからハブにされたことを根に持っている証左と言えるでしょう。いや、カッラーラだろうという指摘についてはごもっともですというより他ありません。(後日追記:あれ?フィレンツェもキースリング絡んでないやん)


さて、ゲーム内容としてはタイルを獲得して、自身のボードに配置する。これだけです。
インタラクションを、タイルのピックの部分に絞って後は箱庭でよろしくやってください、としたのはアグリコラを代表とするワーカープレイスメント的な濃度のインタラクションでさえ忌避されるようになった時流に即したものでしょう。
一方で、時流という観点からもう一つ、ドイツゲームがユーロゲームとなり、ゲームボリュームの肥大化によって強く意識されるようになった脱落。これをどうケアするかは目下の課題であります。脱落が起こらないように、プレイヤーがどの選択をしたとしてもそこそこ勝負になるように見せかけたり、実質差が出ないデザインにするところを、本作においては明らかな悪手が存在するという意味で挑戦的なデベロップとなっています。エッガートは丸くし過ぎない調整を行うパブリッシャーではありますが、インタラクションを緩めた一方で箱庭構築の失策を明確にプレイヤー自身に問うてくるデザインで、今後もゲーマー寄りのパブリッシャーとして存在感を強めてくるでしょう。
剥き出しのマルチゲームから、カタンやエルグランデという自分の利になるからと直接攻撃に正当な理由与えるデザインへ、さらには間接的なインタラクションであるプエルトリコやアグリコラ、インタラクションを陸上競技的なレースへ置き替えたドミニオン、年を経るごとに人と人とのつながりは薄れていく一方だ。
そんなマルチを忌避し、うちに引きこもりがちな今時のゲーマーを対象とするならば、「あいつのせいでうまくいかなった」を「おれのせいでうまくいかなかった」とするのは時代の要請と言えるでしょう。あぁ、スプロッターお前だけが僕らの希望だよ。

ゲームエンジンであるところのエセタイムトラックについてですが、これは大きな変更となっています。手番順も手番数も変わらないという変更を加えることでタイムトラックの良さを殺しています。遅れて残り物のタイルを得るか、それとも手番数を犠牲にして良いタイルを取るかというジレンマがタイムトラックにはありました。しかし、先のタイルを取っても、手番数が減らないのであればタイムトラックである意味は薄く、タイムトラックというよりは変則ロチェスタードラフトと言った方が誤解が少ないかもしれません。箱庭のマネジメント部分が重いため、ピックのゲーム性を軽くしたのは悪くない判断だとは思いますし、逆に見るべき場所が広がっているのは前述の自己責任のゲームデザインとしても一貫しています。

結論しては、よく出来たパズルゲーム。ガードレールがないことも評価できる。しかし、この手のゲームは慣れてくるとインタラクションが発生し、より面白くなることが多いが、本作においてはそれは期待できない。ボードの状況から狙いが読むのが億劫だし、一点を狙うということも起こりづらい。



ichinenjumirai at 00:37|PermalinkComments(0)ゲーム